説教要旨

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  • 2026年度

4/19 「Make ANATA Glitter Again」 ペテロの手紙第二 3章1-13節 小林泰輔師

  •  「MAGA(Make America Great Again)」という言葉を耳にしますが、人間の怒りや政治的な力によって無理やり歴史を動かそうとする運動は、神さまの作戦ではありません。ペテロの言葉から、私たちが神さまのみ前で本来の輝きを取り戻す「Make ANATA Glitter Again(あなたを再びキラキラに!)」という良い知らせをお伝えします。
     世の終わりにある、この世の風潮の中で、私たちの魂はいつの間にか眠りこけてしまうことがあります。そんな私たちを揺り起こし、再び輝かせるのは、新しい政治的思想ではなく、預言者や使徒たちが伝えた「みことば」です。天地は火で焼かれるためにとっておかれていますが、それは罪がもたらす必然的な結果です。しかし、ノアの時代に虹が輝いたように、神さまは私たちに「みことば」という救いの約束を与えてくださっています。この確かな契約の土台に立ち返る時、私たちは心の「純真な輝き」を取り戻すことができるのです。
     「主の再臨は遅すぎるのではないか」という声に対して、ペテロは「主の御前では、一日は千年のよう」だと語ります。神さまは私たちのように時間の制約を受けるお方ではありません。神さまが再臨を待っておられるのは「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」からです。
     私たちは古い天地が崩れ去った後の「新しい天と新しい地」を待ち望みつつ、「聖なる敬虔な生き方」へと召されています。良いこと(みこころ)のために取り分けられているのです。これが「聖」の意味です。神さまを心の王座に据え直すこと、これが「敬虔」の意味です。
     私たちが日々、神さまを第一にして生き、その輝きを見て一人の魂が悔い改めるなら、救いの完成へと歴史の時計の針を進めることになります。このための「努力」とは、救われるためのノルマではなく、すでにイエスさまの十字架によって再創造された命を精一杯輝かせたいという、喜びの応答なのです。
     聖書の終末論は、いわば「最終回の予告編」です。断片的な情報で、すべてを知っているかのように振る舞い、結果的に対立を煽るのではなく、予告編に描かれた「平和の王イエス」を信じ、愛に生きましょう。世の中の動きに惑わされることなく、あなたを愛し、忍耐して待っておられる神さまのみ前に立ち返りましょう。聖霊さまに導かれる時、あなたは内側から神さまの光で再び輝き出し、その光は家族や隣人を、そして教会は世界を照らしていくのです。

4/12 「いつでもどこでも神さまと」 エペソ人への手紙2章7-10節 森田学師

  •  私たちは、誰もが神さまに創られた神の作品です。(エペソ2:10) 厳密には、“神が私たちのためにあらかじめ備えてくださった良い行いのために、創造されたのです。”なんと私たちは、良い行いを見せることを頑張る存在ではなく、既にあなたの存在が、神の栄光を現す尊い存在なのです。
     ★いつ?★それでは、いつ神さまは、あなたを通して栄光を現されるのでしょうか? それは、あなたの人生を通して、そう、日々の生活を通してです。(詩篇16:8)日曜日の礼拝以外の時間も、神さまはあなたとともにおられ、親しく交わりたいと願っておられます。月曜日も、火曜日も、朝も、夜も、毎日の一秒一秒が、神さまからの贈り物で、私たちが生き、生活している時いつでも、神が私たちを通して栄光を現される機会となるのです。神さまが、私の人生に関係のない瞬間など無いからです。
     ★どこで?★では、どこで神さまは、あなたを通して栄光を現されるのでしょうか? それは、あなたが行くところ、どこででもです。私たちは、日曜日の礼拝の場所から外へ一歩出るとき、まるで別世界…狼の群の中にいるかのように感じられるかもしれません。(ルカ10:3)家の中、職場、学校、病院、友人の家、どこも神の事とは無関係と思うかもしれません。しかし、あなたがどこに居ても、神はともにおられ栄光を現されるのです。(ヨハネ10:4、9、10節)
     ★日々の生活は、神への奉仕、礼拝なのです★さらに、コリント人への手紙第一10章31節によれば、私たちの召しは、私たちの生活を通して、神が栄光を現されるということを励ましています。初めに創られた人間アダムは、畑を耕す(神殿で神に仕えると同じ言葉)ことで神を礼拝し、神に仕えました。(創世記2:15)私たちの心が神さまによって支えられ、いつでもどこでも神さまに向かうとき、家事も仕事も、勉強も遊びも、生きることすべてが、どれもが神への奉仕であり、礼拝であり、神の栄光が現される、神さまからの大切なプレゼントであると確信します。決してあなたを見捨てないと言われる神さまが、日々の生活の中でも一緒にいてくださいます。その神さまが、あなたのいる場所をさらに祝福し、ここでも神さまのすばらしさを見られるのだと、神さまに期待して生きましょう。(ルカ17:20,21)

4/5 「復活の主に出会う」 マルコの福音書16章9-20節 小林泰輔師

  •  マルコの福音書の結びから、主イエスさ まの復活の朝の出来事に目を留めました。  復活の朝、そこには弟子たちの大きな混 乱と、「愛ゆえの疾走」がありました。中 でもマグダラのマリアは、空の墓を見た瞬 間「遺体が盗まれた」と早合点し、ペテロ たちに報告するために走り、そして再び墓 へと戻る「二往復」をしています。それほ どまでに彼女の心は主への愛と、失った悲 しみで必死だったのでしょう。  かつて彼女は「七つの悪霊」に支配さ れ、絶望の暗闇にいました。そんな彼女を 救い出し、人生に光を灯してくださったの がイエスさまでした。だからこそ、皆が逃 げ去る中、十字架の死も、冷たい墓に葬ら れるのも、彼女はじっと見届けることがで きたのです。  悲しみと混乱の中で墓の外で泣いていた 彼女に、あの方が「マリア」と名前を呼ば れました。その聞き慣れた温かいみことば の響きに、彼女の凍りついた心は溶け、死 んでいた信仰が起き上がりました。復活し た主イエスさまご自身に出会ったのです。  彼女は急いで弟子たちの元へ戻り「私は 主を見ました!」と証言しましたが、彼ら は「目に見えるもの」に頼っていたため、 すぐには信じることができませんでした。  今の私たちは、マリアのように復活した 主を直接目では見ていません。しかし、私 たちの手元には、生ける神さまの「みこと ば」があります。主はみことばを通して、 今も私たち一人ひとりの名前を呼んでおら れます。信仰とは、目で見ることではな く、語られたみことばに応答して心が起き 上がることなのです。  彼女が「七つの悪霊」から解放されて新 しくされたこと、それが何よりの「しるし (奇跡)」でした。そして今、主を信じて 歩んでいる皆さんの人生が変えられた「軌 跡」そのものも、復活の主が生きて働いて おられることを示す尊い「しるし」です。 みことばに信頼し、私たちの人生を通して 生ける主を力強く証ししていく「キリスト の弟子」として歩んでいきましょう。
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